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広島における戦後復興からの教訓

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Hiroshima Electric Railway tram Hiroshima Electric Railway tram

広島はかつて、想像を絶する破壊と人々の苦しみの代名詞でした。ところが今は、希望と再生のシンボルとして、回復力、適応力、そしてコミュニティ主導の復興の強みを体現するまでになっています。持続可能な都市づくりと市民参画を掲げる広島は、戦争で廃墟と化した町から、人口120万人を擁する西日本の活気あふれる経済拠点へと変貌を遂げたのです。

世界銀行東京開発ラーニングセンター(TDLC)は、広島のこの素晴らしい歩みを伝える場として、学習と対話を促進するためのワークショップ「住宅と都市の復興:都市危機をめぐる日本での知見共有」を開催しました。このイベントには、東欧や中央アジアの政府自治体関係者、世界銀行の現地職員等が集まり、東欧・中央アジア地域の都市復興戦略について議論し、それぞれの経験を共有しました。

今日、広島の都心部を散策するとき、75年前に焼け野原だったこの街の姿を想像するのは難しいでしょう。広島のアイデンティティを育むうえで、追悼と平和教育は、物理的にも精神的にも、中核となる役割を果たしています。広島を象徴する原爆ドームや広島平和記念資料館が設置された広島平和記念公園は、追悼と平和教育に強い思いで取り組んできた広島市の姿勢を体現する存在です。かつての住宅密集地に作られたこの公園は現在、癒しと協調の場として、市民や世界中から訪れる人々を迎えています。70年以上にわたって毎年行われている追悼式では、原爆犠牲者に哀悼の意を表するとともに、世界恒久平和の実現に向け誓いを新たにしています。その思いは、公園内の慰霊碑に「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文として刻まれています。

平和記念公園は、学習のための空間であるだけでなく、自然を景観に取り込んだ憩いの空間でもあります。広島市は、市内を流れる多くの河川を活用し、治水や景観整備を目的に河岸の整備を進めてきました。特に中心部の河岸においては、観光や経済成長を促すため、歩道と共に水辺のカフェを設置しました。

広島の復興はまた、開発と地域ニーズを両立させた都市再生の成功事例ともいえます。 当地における土地区画整理は、戦後の広島市においてインフラ、住宅、公共空間を適切に配置するうえで重要な役割を果たしました。

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Hiroshima, Japan

戦後の都市開発における中心課題は、いかに手頃な住宅(アフォーダブル・ハウジング)を住民に提供していくかでした。 そのため、中期的な開発計画策定において、自治体は住宅問題に対処するために土地利用計画を改定し、公園予定地を住宅地に変更したのです。

住宅不足が続いたため、太田川の河川敷にバラック住宅の集落が出現しましたが、1960年代から、広島県と広島市は、こうした集落に住む人々の生活環境を改善するため、公営集合住宅を整備しました。また、両自治体はインセンティブの付与や柔軟な入居基準、違反した場合の罰則などを組み合わせた結果、河川敷に暮らしていた非正規居住者の70%近くが手頃な住宅に移り住みました。かつて違法集落があった場所はその後、小道や木々が並ぶ公共空間として再利用されています。

広島の戦後の都市計画は、都市の安全性向上という戦前のビジョンと、緑地、安全性、社会的一体性の向上といった新たな都市開発ニーズを組み合わせたものでした。また、戦後の復興事業は、都市の過密状態を解消し、道路を広げ、緑地を増やし、洪水を防ぐという戦前の構想を実行に移す機会でもありました。特に注目すべきは、川沿いの歩道を増やして歩きやすい地域を作ったことです。街の復興が予想より早く進み、新しい住民を呼び込めるようになった広島は、さらなる包摂性と利便性の向上を目指しました。その一例として、1970年代から1980年代にかけて、都心と郊外を結ぶ交通の利便性向上を目的に新しい総合交通計画を策定しています。

広島の事例は、複数の危機に直面している世界の各都市にとって貴重な教訓となります。  広島の都市開発の歴史は、まずは理想的な都市像を描き、資源の調整を図りつつ事業を実施していくという、漸進的かつ包括的な都市再建アプローチの重要性を実証するものです。同時に、安全性と社会的な一体性を高めるために、コミュニティの参加と住民参加型の計画立案が推奨されています。実際、広島では2014年に豪雨や土砂崩れで被災した地域が、強靭性と地域活性化を高めるために、まちづくり協議会を設立しています。

戦争や災害からみごとに復興を遂げてきた広島の経験から、世界の都市が学ぶべきひとつの重要な教訓があります。それは、復興とは鉄やコンクリートを用いた再建にとどまるのではなく、その地域やそこに住む人々を中心に進めなければならないという点です。広島の歴史から得られるこの教訓は、今回の知見共有ワークショップに参加した政府・自治体関係者の共感を呼び、都市が極度の逆境に直面した際の具体的な道しるべとなりました。

T可能な都市ソリューションへの確固たるコミットメント、コミュニティの参加、過去の失敗からの学びを通じて、広島の街は崩壊の象徴から希望、回復力、進歩の光へと変貌を遂げました。この街の経験は、たとえ圧倒的な逆境に直面しても、都市は以前よりも強く、結束して再び立ち上がることが可能であることの力強いメッセージとなっています。

 

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